月を眺めること

音の鳴る木々は次第に姿を隠し、

遍く照りつけるお日様の陽光は、

少し穏やかになられた。

いつも立ち寄る店の

商品の陳列棚は、

誰にも気付かれない範囲で

模様替えが施されていた。

この街にも秋が訪れたのだ。


俗世の生活を放棄した哲学者よろしく、

初秋の風に吹かれて

物思いにふけっていると、

夜月を暫く見ていないことに気付く。


僕は自分の人生の

充実度を測る尺度のひとつに、

"月を眺めること"を掲げている。

或いは、

"月を眺める余裕があること"

と言い換えた方が

的確な表現なのかもしれない。


先人たちは、中秋になると、

家族で満月を眺めて楽しんだという。

翻って省みると、

生産力の最大効率を求められる

ストレスフルな現代社会において、

このような観月の習慣が

どれほど残っていようか。

社会的な繋がりが希薄になり、

匿名の発信が肥大化した結果、

僕たちはいつの間にか、

月を見ることを忘れてしまった。

(この時世に於いては尚更)


かの文豪、夏目漱石先生が

"I love you"の日本語訳を

"月が綺麗ですね"としたように、

僕たち一人ひとりが

月を眺める余裕を持てば、

世界は少し詩的になるのかもしれない。



BGM:RadioheadSail to the moon


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コメント: 1
  • #1

    つち (木曜日, 17 9月 2020 22:00)

    首を長くして待ってました!自分を省みる余裕。心の中の声を言葉にして頭を整理する余裕。日記を書く余裕。それはともかく今宵の月は綺麗ですね!!