僕の海外旅行記4

海外に滞在するにあたり、

近い将来起こり得る、

僕の自由時間を妨げようとする懸案を

僕は事前に察知していた。


懸案事項 1

治安の危ぶまれる海外で、

嫁と息子を守るため、

僕は保護員として、

四六時中、嫁と息子の側に

張り付いていないといけない。


懸案事項 2

嫁と息子は英語を話すことが出来ない。

僕は通訳者として、

四六時中、嫁と息子の側に

張り付いていないといけない。


これらの使命を全うする覚悟は

出国前からすでに出来ていた。


実際に現地に立つと、

繁華街ど真ん中のホテル周辺は

治安が良いためか、夕方以降も

外の人通りが多いことが分かった。

また、21時までの条件下において、

女性ひとりの外出者を

多数確認することも出来た。

これらのことは、

懸案事項 1が解決可能な案件

であることを示唆している。


このことを契機に、

僕の覚悟は大きく揺らいだ。

そして、あらゆる物体が

重力に逆らうことが出来ないように、

ごく自然な成り行きとして、

僕は、懸案事項 2を解決するための

嫁へのスパルタ教育を開始していた。


飲食店に入店する時、

商品を注文する時、

会計をする時、

それぞれの状況に応じた

英語の定番フレーズを嫁に伝える。

そして実際に店員を呼び、

店員が僕たちに話しかける寸前、

『あ、ごめん。トイレ』と言って

僕はその場を立ち去り、

遠くの物陰から嫁の奮闘を見守る、

という鬼のような特訓を嫁に課した。


その際、会話の内容は聞こえないものの、

嫁は英語が分からないなりに、

身振り手振りを交えて、

店員と意思疎通を図っていた。

ひょっとしたら簡単な英単語を並べて

意思を伝えたのかもしれないが、

言葉を用いなくとも

何とかなるものなのだなあ、

と僕はとても感心した。

万一、店員が困った顔をした場合、

僕がすぐさま救助に向かう、

というのは言わずもがな、だ。


これを2日間ほど続けた。

『あんた本当は英語喋れないんでしょ!

逃げてばっかり!』と

(ごもっともな指摘だ)

嫁の怒号が飛ぶこともあったが、

僕は鉄の意志をもってこれを続けた。


特訓は順調に進行していた。

しかし、この特訓における、

僕の唯一の想定外の出来事が発生した。

それは、シーフードレストランに入店し、

嫁に注文方法を伝えて、

いつもの手法でスパルタをした際、

ロブスターのハーフサイズ単品を

嫁に注文させたつもりが、

巨大なロブスターが2

テーブルに提供されたことだ。

何をどう間違えると

このような事態に陥るのか分からないが、

(もちろん食べ切ることは出来ない)

このことに関しては流石の僕も狼狽した。


結局、この短期間では、

嫁の英語力の著しい上達は

見込めなかったが、

それでも、何事にも動じない度胸と、

力業で会計を完了させるだけの手法を

嫁は身につけることができた。


そして運命の瞬間来たる。


ホテルの部屋でまったり過ごしていると、

嫁が息子を連れて、

某有名チョコレート店の

ソフトクリームを買いに行きたい。

ついでに免税店の商品を見て回りたい。

『どうする?』と僕に質問してきた。

『一緒に来て』ではなく、

『どうする?』と嫁は

僕に選択肢を提示してきたのだ。


この方程式の解を求めるのに、

僕は些かの時間も必要としなかった。

『部屋で待ってる』と答えた僕の目が、

黒く静かに沈んでいくのを感じた。

まるで肉食動物が

獲物に標準を合わせるその瞬間、

瞳の気配を絶つように。


夕食前には戻ると嫁が告げ、

僕だけが部屋に残った。

少なく見積もって1時間半、

僕は自由の翼を手に入れたのだ。

ハリボテで作られた仮初めの翼を。

僕は誰にも気付かれないように、

細心の注意を払ってホテルの部屋を出た。


グアムの青い空には、

太陽が誰の許可を得ることもなく、

白熱の火を灯して浮かんでいた。

その熱線を浴びながら、

僕は、数種類のドル紙幣を握る僕の手が、

少しだけ汗ばんでいることに気付いた。


(後半へ続く)



BGM:『勇気一つを友にして』

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コメント: 2
  • #1

    つち (日曜日, 05 5月 2019 17:13)

    ひとりでできるもん、という前フリは、まさかの奥さんの奴だった!そして、まさかの選曲(笑)というか、続きが気になる!!震えて待つ!!いや、待てない!!

  • #2

    ひろ (日曜日, 05 5月 2019 17:31)

    ちょっとこのシリーズ、特におもしろいな!やばいわ!